新しい種



 私は現在32歳になります。28歳で施設に入寮し一度処方薬をオーバードーズ飲んでしまったので、薬物を断って、NAで言うクリーンは3年になります。

入寮する際家族と約束したアルコールは何とか飲まないでいることが出来ています。

 私が最初に薬物に手を出したのが14歳のときでした。学校での人間関係も上手くいかず家庭環境も兄の非行と重なり心を病み始め、駅前の精神科で貰った睡眠薬を飲んでは現実逃避をし、薬物から得られる多幸感と安心感から薬物の快楽を知りました。

 「人生の充足感を薬物摂取によって満たす人間として最低で最悪な自己治療」が始まりました。

日に日に摂取する量は増えていっても満たされず病院をはしごして医療費がかさみ家族の負担は増えていきました。

 家族のお金と自由は減っていくのに息子の薬の回数と量が増えていくさまはまさに、家族の幸せを息子が吸う地獄絵図だったでしょう。

毎日、「明日からは・今度は」と嘘をつき、家族に実現しない希望をもたせては裏切りました。いいえ、本当はきちんとしたい・自立して家族を安心させたい夢を言っても薬のだるさにかてず嘘となり罪悪感でまた薬を使うループでした。

ループならまだしも、施設に繋がり、NAのプログラムでの通り依存症は「進行性の病」病は進行して、処方薬は仲間を呼び20歳からは、酒と共謀し体と精神を蝕みます。自己治療も形を変え自傷行為となり、唯一自分を愛してくれていた母の心配とは裏腹に自分の価値を見いだせない自分が傷んでいくさまは実に滑稽でした。

喜びすら感じていました。

そう、機能不全の家族の中で、傷ついていく自分を心配する母の「愛」を独占することで自己を満たしていたのです。

大腿骨の骨頭壊死を発症し肝硬変まで自分の身体を痛めつけたある時に底をつき気づき始めました。

「つまらない…本当にしたいことは母の愛を独占することでもない。薬の偽りの満足感で自分を誤魔化していることもでもない。」

そう思い始める頃には、20代後半で何も自分ですることも出来ず羞恥心と無力感で精神を錯乱し精神病院に措置入院することになりました。

そこで、人生を変えるきっかけを二人から与えてもらいました。

ケースワーカーのTさんには肝硬変の說明を受けた際には「どうでもいい、肝硬変になるように飲んでいたし、終わらせるようにしていた。」と告げると「甘えるのもいい加減にしなさいよ。自分の人生を投げるんじゃないよ!」と叱責を頂きました。人に対し斜に構え見下していることが常になっていた自分にとっては、心から嬉しく、不謹慎ながら面白い。

赤の他人の自分を思い怒ってくれたこの人に、自分が今の状況から立ち直り、いつか「ありがとうございます。」と伝えられたら喜んでくれるだろうか。

そして、もう一人、DARCのT施設長がその立ち直りのきっかけをくれました。

「やり直してみないか?新しい生き方をしてみない?」

その後、DARCに入寮して、仲間に迷惑をかけ支えられながら施設で生活と回復させていただいています。最初は「回復?発達障害もあり、もとから壊れている俺は回復しようが自分に価値はない」と言っていましたが、初期の施設では、内観をし、自分を掘り下げ、人生の課題を見つけ、農業の施設では自分たちで野菜を管理する責任感・仕事を達成する責任感、何より自分に欠けていることを埋め合わせていく喜びを施設で教わり実感することが出来ました。

大腿骨骨頭壊死で、下半身に障害を持った時に「俺の人生は詰んだ。」と思ったことも、人生の苦労から逃げようと思ったからで、出来ない・無理だと言われても、努力や工夫で乗り越えられることを気づかせてもらえる良いターニングポイントでした。

仲間にも、わからないことや・対人関係で問題になった際にはみんなの考え・経験を教えてもらうことで、機能不全家族の中で成長できなかったことも仲間との生活の中で成長と回復をさせていただいています。また、DARC各施設帳のおかげで機能不全とは言った家族の中に自分を守っていてくれた感謝を思い出させてくれて生き直す機会頂いて感謝の気持しかありません。

学生時代は不登校気味の生徒でしたがスポーツが大好きでした。

下半身が不自由になりスポーツ選手の運動・格闘技が自分の劣等感を刺激して嫌いになりました。

 クリスチャンは「刈取りの法則」という事を大切にするとき聴きました。

「自分の蒔く種は成長した際には自分で刈り取る。」責任を取る事の比喩表現と聴きます。下半身の障害でスポーツすることを諦めるという方法で受け入れ(刈り取り)今の自分には将棋で仲間や人と分かち合いを楽しむ趣味を見つけました。

この新しい種を大切に育て上げ、自分の生きがいにしていきたいと思います。