負け続ける人生


 人生は、勝つ=幸せ。勝てない人生に意味はなく、価値がない。


そう考えていた10年前、覚せい剤を静脈に入れて、SEXをすると格段に気持ちよかった。簡単に意味や価値が見出せた。覚せい剤が使えないときは酒を飲む。酒を飲めば俺は面白いし、出会ってすぐの相手もSEXに持ち込める。自分は周りのやつとは違う、自分は人生に勝てる特別な存在だ。あれ、おかしいな。覚せい剤と酒の量ばかりが増えていく。「生き急いでいる」「早死にしそう」「危なっかしいところが魅力」と20代はよく言われていた。誉め言葉だと思っていた。

 20代最後の歳、「もう俺の人生はどうしようもない」と思った。東京のある警察署の留置場。一人、鉄格子の中。垢の浮いた風呂は週に2回、朝はパン、昼と夜は定食風のプラスチック容器のごはん。出前は頼めるけど、あえて我慢した。毎日15分の運動時間に、3畳ほどのスペースでタバコが吸える。取り調べのないときは、一日3冊まで借りられる本を読んで過ごした。検察官と話して、弁護士と話して、裁判で話した。28日間、ずっと泣いていた。当時一緒に暮らしていた彼氏が「これからも一緒にいて自分が見守ろうと思う」と手紙で証言してくれた。私は彼に家賃を支払っていなかった、ときどきパチンコ代を借りていた。彼から別れの話は出なかった。裁判を傍聴し、家に送ってくれたのは新宿2丁目にあるゲイバーのママだった。こんな俺にも味方がいる、とぼんやり思っていた。

 釈放されて、失業保険をもらいながら通える介護福祉士養成学校へ入学した。逮捕されたことで仕事はなくなり、資格も生きる術も持っていないことを自覚させられた。自分よりもさきに捕まった芸能人が更生を示すために介護の勉強を始めたとどこかで記憶にあった。介護をやれば体裁も良い。なによりも2年間、公費で学校に行けるし、月々のお金をもらうことができる。高尚な理由なんかない、楽に生きていけると思った。しかし、介護の学びが衝撃だった。愚行権にはじまるケアの倫理、人間の行動や機能を学ぶ生活支援技術、社会の制度やしくみを理解していくと、人生に大事なものに気がついていった。勉強っておもしろいんだと思った。なんだか自分が何かに導かれるようにしてここに来たような気がした。

 学校での2年間、ゲイであること、覚せい剤使用により逮捕され執行猶予中であることを少しずつ開示していった。必要に迫られてのことだった。実習中にアルコールが理由で欠席したこともあった。その時、自分がアルコールにも依存的だと認識はなかった。ちょっとずつSOSを出せるようになり、学校の先生や同級生に助けてもらう場面が増えてきた。そのことがとても心地よかった。卒業後、介護福祉士として仕事をしていく中で繰り返し、逮捕されたこと・覚せい剤を使っていたことを話した。それは刑務所や少年院から地域に帰ってくる人たちの支援をするようになったからだ。正直に生きることがこんなにも身軽であるのは発見だった。ゲイであることも、できるだけ早い段階で伝えるようになった。セクシャリティの問題に意見を求められるようになり、仕事の幅も広がった。

もっと福祉の知識を深めたいと社会福祉士、精神保健福祉士の勉強をして資格を取った。覚せい剤をやめて8年がたっていたが、私は怒ると後先考えず、感情に任せてなんでも言ってしまう生活は前のままだった。相手の都合なんか気にしない。相手が自分を怒らせているのだからこちらに正義があると考えるような、こどもの部分がある。強い者には媚びてへつらい、ヨイショが通じないと非難して、へそをまげる。泣いたりわめいたりして相手をコントロールしようとする。40代を目の前にして、このような態度でしか相手に気持ちを伝えられなかった。酒もSEXもどんどん増えていく、過激になっていく。またも自分の人生がどうしようもなくなってきていた時に、両手の小指がないアディクトと知り合った。彼は覚せい剤、酒、SEX、ギャンブルあらゆる依存行動から20年クリーンだった。私はこの人ならと、助けを求め、12ステップのスポンサーになってもらった。

これから私はたくさん間違うだろう、迷惑だってかける。そのたびに、間違いを認め謝り、修正をかける。これを実行するためには仲間が必要だ。依存行動が止まらない時、自分は一人だった、一人で生きていかなくてはいけないんだと感じていた。今は違う、仲間がいる。今は孤独ではあるけど孤立はしていない。きちんと自分の足で立っている感じがする。みんなに支えられているのもわかる。だから感謝ができる。おかげさまという本来の謙虚も理解できた。自分を蔑むことなく、自己肥大させることなく表現できる。

私は毎日、祈る。それは自分の回復と仲間の回復のため。まだ会っていないつらい思いをしている人たちのため。人生は負けでいい。たくさん持っているとか少ないとか関係ない。私はゲイで、依存症となった。依存症は一生直らない難病だ、でも不幸じゃない。依存症や人生に負け続ける覚悟ができたから、大丈夫。負け続ける人生を今、楽しんでいる。過去の自分とこれから来る皆さんに伝えたい。


負け続ける人生がいかに幸せか。負け続ける人生がいかに豊かか、を。